ハプニングは人生最良の薬

うちのトイレが壊れた。修理業者に「本日はもう手の施しようがないです」と告げられ、絶望。どうやらマスが詰まっているらしい。トイレ兼風呂場が汚水で浸っているので、使用不可。とりあえず、街へ逃亡した。

 

マックで時間を潰していると、友人からメールがきた。無理やり会話にトイレの話をねじ込んでみた。笑いに昇華することが出来、心底ホッとする。閉店時間になり夜道を歩いていて、ふと母親に電話でもしてみようかと思い、近況を連絡。ホッとした。

 

これしきのことが笑いに出来なくて、どうするんだ。一人暮らしをして学んだことは、日々のハプニングは小話にするべきだ、と言うこと。いかに面白く出来るか。構成の大切さ、芸人の話のうまさに感嘆だ。またくよくよしちまったぜ。

 

 

家族、友人・・・縁について考えてみる。縁とはなぜ生じるのか。それを考えることは、どうして私は私なのだろうか?と言うことと同じようなことなので深く考えない。縁がある、それでいいじゃないか。

 

頭の中だけで生きているとハプニングが起きる。正月に銭湯で足をパックリ切ったり。そうして流れる血を見て生きていることを再確認した。精神だけで生きてはいない。この体を含めて私なのである。そしていつかこの体は無くなってしまう。

 

話を戻そう。トイレの修理代は、マスの老朽化と言うことで管理会社へ請求されることとなり、払うべき結構高額な料金は発生しなくなった。物事はどの角度で見るかだ。不幸中の幸いとでも言おうか。まあよかったじゃん、と思いつつ、線香を焚く。

この線香の煙は、一体どこまで届いただろう。