世界線と愛について

以前、人を知るためには芸術が一番だ、と書いたが訂正したい。

芸術は私がもっとも愛するものだが、それが相手を判断する基準にはなり得ない、という結論に達した。芸術は芸術。愛は愛。シンプルに行こうぜ。

 

日々の何気ない一言や、眼差しが、その人の哲学をあらわしている。先を急ぎすぎる私は、それを見逃していた。だけだ。

救われようとする心は、人を見る目を濁らせる。受動的な心も、視野を狭くする。

 

あまりにも頭の中がいっぱいで、何も手につかなくて困っている。

 

 

 

マイク・ケイヒルの映画が好きだ。何が好きかといえば、”並行世界”について書かれているところだ。

あの時選ばなかった人生は間違いではなく、選ばなかった世界なだけだ。世界は終わったわけじゃない。違う路地に入っただけだって。

PUNPEEもリリックを通してよく言ってるよね。

 

 

シンプルに考えてみよう。

彼のことを考えている世界。芸術家になるための世界。2本のラインを通せば、そこを行ったりきたりすれば、物事はシンプルではないか。

じゃあ、今は芸術家ライン。そうすれば頭の中が楽になる。絡み合って見えなかったものが見えてきそうだ。

 

 

救われようとする心は、絡まった糸だ。自分でほぐすすべを知っていれば、必要なくなる。

解れた糸は視野を広めてくれる。愛を深めてくれる。

 

 

 

”ひと”を知らなかった私は、あまりにも楽に知ろうとしすぎていた。それは自分の中のトンネルがなくて不安で怖かったからだ。いつも試されているみたいで怖かった。

今はトンネルが飲み込んでくれる。トンネルの底から人と話をしている。その人のトンネルを知ろうと観察し、話す。質問する。そして自分のトンネルを観察する。

その繰り返しだ。

 

その行為はとても楽しい。それは芸術と同じくらい価値のあることだ。