アイデンティティ
2019年2月20日
頭のなかに言葉が溢れてくる。言葉が入道雲みたいに集まってくる。それが文章になる。これが「思考」なのか。
このところ自分探し、ならぬ、自己分析、にハマっている。
信憑性があるかわからないが、色々やってみたけど、どうやら私は社交性や主体性が尋常でなく低く、しかし自己主張力は超特異的に高い。一人を好み孤独への耐性がある。アーティストや芸術家、オタク、その様なものが向いているとのこと。
ほほう、と思う。そうでしたか、と。
ネットでは信憑性が怪しいと思い、「ストレングス・ファインダー2.0」を買った。
まだアセスメント(診断)はやっていないが、(休みの日にじっくりやる予定だ。)挿入を読んだ。
”「いばらの道」を選ぶな”で始まる文章は、とても興味深い。
簡単に言えば、なぜ才能を磨かないで、出来ないことを出来るようにする為に大切な時間を費やすのか。そしてそれが出来たとしても、月並みなのではないか。ということが、エビデンスとともに書かれていて、当たり前と言えば当たり前なんだけど、洗脳されていた思考力ゼロの私としては、目から鱗だった。
タイムマシンがあって、過去に一つだけ持っていけるとしたら、これを持っていく。
私の人生は、何を選ぶか、ではなく、何を捨てるか、だと思う。
可能性はいくらでもある。でも、多分、一つだけ捨てられないものを持っている。その検討はついてきた。
昨日、こんな記事を読んだ。
https://imaonline.jp/articles/archive/20190218caiti-borruso/#page-1
”アイデンティティを探求するすべとして始めた写真と執筆を、いまでも続けている。”
この部分に興味を惹かれた。ほほう、と思った。
自己表現としてではなく、アイデンティティ探求するすべ・・・・ジーザス クライスト!!!!!!!!!!!!!!!!
日々、驚くことばかりだ。自己を知ろうとすると世界を知りたくなる。自己を知るために、細かなディテールが気になりだす。この言葉の意味は?この時代背景は?人間とは?
焦点が合い出した世界では、無知が怖い。0がわからないと、何一つ分からないからだ。
最近、19世紀とは1801年~1900年までを指すと知った。そして世界史を基準に写真史を紐解いていくと、時代背景がわかる。撮影者、その時代に生きていた人達の感覚を手繰り寄せるヒントになる。そしてその中でも変わらない、”感覚”を見つけた時、自分と同じものを見つけた時、本当に幸福だ。
ケイティ・ボルッソさんに関する記事の言葉を借りて、自己紹介をしてみたいと思う。
私は写真が好きです。それは、自分自身を深めてくれるからです。アイデンティティを知るすべだからです。アイデンティティを伝えるすべだからです。
写真を見てもらえれば、私がどんな人間かわかると思います。
違和感の正体がわかった。言葉を知らないとは、なんと苦しいことか。
ジーザス クライスト!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!