実験1

201922

 

どれだけの時間がたっただろう。

久しぶりにクソみたいだなと思った。

真人間になろうと頑張って恫喝に耐えて頑張ってきたけれどきずいてしまったよう。

朝方、それはやってくる。

寝ているようで頭だけが起きて、思考が回っていく。

一日の中で一番集中している時間。無意識の底から湧き出てくる、一番真実味を持った考え達。

 

最近思うことがある。先日、「あなたは読書が好きみたいだけど、言葉も下手だし文章も描くの遅いし、何もできないね」

と私にとっては日常になリつつある指摘があり、まあ確かに、と思い、なぜだろうと考えてみた。

まず、読書は好きだ。物語の世界に入り込んでつまらない現実を忘れられるからだ。そして、その物語に入り主人公を生きて

成長したり挫折したり死んだり、疑似体験をして癒されるからだ。箱庭療法だ。

しかし、すぐにストーリーを忘れてしまう。断片的に何と無く覚えているけど、だいたい忘れている。癒されることが目的みたいだ。

そして、物語を楽しんで終わりだ。

 

これは私の好きなことに対する姿勢全てに言える。

今までにみた映画、読んだ本、音楽、全て無駄になったと思った。

 

何も学んでいないし、私の血肉にはなっていないのだ。

 

 

分析・思考。言葉。頭が痛くなるけれど、立ち向かわなければ未来は無いだろうと切に思うのだ。

そして、これがいつも私を苦しめる劣等感、底辺にすら届かないという焦燥の一要因だろう。

 

 

 

思考をしよう!と意気込んで、えーとっと考えだすと、色んな景色と色と音とが渦巻いていて、気づくと冷蔵庫のホウレン草はどうやって食べようかな、とか考えてしまう。

皆どうやって思考しているのだろうか。思考の形をみてみたいと思い、電車の中、街中で人を眺めてみても一向にわからない。

頭の中にホワイトボードでもあるのか。ノートみたいに書き出すのか。言葉が映像として飛んでいるのか。

 

 

今思いついたのは、思考には2パターンあるな。

まずは、興味がある事に対して意識せずとも水面下でぼんやり考えていて、ふとした折に大きな文字が降ってきてそれを土台に粘土を捏ね繰り回すように言葉にしていく思考。

もう一つは、全然興味なくて、カオスの中を漂い、やっとの事で藁をつかんでみたものの、掴みすぎて粉々になって、返答に困る、というやつだな。

 

 

 

言葉について。私は言葉の対極にあるだろう「写真」を愛している。その面白さは、自分の意識を超えて、思ってもみなかったことに命が吹き込まれるところだ。自分の写真だけど、コントロール不能になった写真を撮れた時、生きててもいいんじゃないか、と思うのだ。

そして容器としての自分を意識する。自分ほどにつまらない人間が自己を消した時、人間本来の無意識の底の原風景が浮かび上がるのではないか。

それと同じくらい言葉も愛している。素晴らしく美しい響きを持った言葉達は、素晴らしい写真を見た時と同じくらい幸福にしてくれる。

最近読んだ本では「言葉の錬金術」(「リスボンへの夜行列車」より)を始め、崇高で美しくて悶えてしまうような言葉が連なっていて、ぼーとした。現実には、意味のある言葉が溢れかえっているが美しい言葉はあまり見かけない。

 

また、昨年、隕石が落ちたような衝撃を受けた言葉を紹介したい。

 

 

「羨望」・・・羨望とは他人の幸福を許せない怒りだ。(ラ・ロフシュコー)

 

 

今まで苦しめられてきた得体の知れないもの、は、羨望だったんだ。だったんだーーー!(エコーかかる)

まじだせえな、と思った。得体の知れない感情に言葉がつき、その日1日ブツブツ呟いてはニヤニヤしていたと思う。的確すぎる。

そうして、どうして羨望を感じるかといえば、自分に自信がない、自分に自分で制限をしている、やりたいことから逃げている、人の真似をしていれば安全だから、という思考から自分を見失っている。というより、自分が無いから。という考えに至った。

自分は他人とは幸福を感じるポイントが違うということに気づいた。だから、自分が幸福だと感じることを恐れずにやっていかないと。

 

 

 

 

現在に至る。時間を金に変えて生きている。恫喝なのか、教育なのか分からない日々で生きている。無意識が、恫喝なんじゃないかと訴えている。

考えないようにしているその裏で、心が死んでいく。

 

 

ずっと悩んでいた。今も悩んでいる。ブログに意味はあるのか。自分の考えを公開する意味は。

自分の名前を検索してみたら、同姓同名がたくさんいた。仰々しく考えなくても、世界は回るし、私は一日本人でしか無いのだ、緊張するな。

 

ブログの意味はコニュニケーションしたいから。投げて終わりにしたく無い。独りよがりで終わりたく無い。

そんなことできるのだろうか。そのコミュニケーションの果ては何だろう。

 

わからないから、実験してみることにした。